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学生生活
​~中学生編~

僕は中学生になった。少人数ではあるが、私立の中学に進学した人もいたが、

ほぼほぼメンツは変わらずに、皆、同じ中学に通うことになった。

何も変わらないんだなと思っていた。

また、小学校の頃と同じままなのだと。

だが、変化はあった。

それは大きな変化だ。

それは部活。

これは、この生活を変えるチャンスだと思った。

何かに熱中すれば僕を取り巻く環境は変わるのではないか、と期待を抱いた。

他力本願なのかもしれないけどそう思おうとしていた。

他の学校はわからないけれど、僕の通っていた中学では、最初に合計三回、

体験入部ができるシステムだったので、僕は最初から本命はサッカー部だった。

だけど、せっかく三回、

体験できるなら他の部活も体験しようと思い剣道部を体験しに行った。

理由は覚えてないけど、多分、なんとなく選んだのだと思う。

そして一回目の部活は終わり、次の日にはサッカー部に即入部届けを提出した。

意外と仲良くしていた友人も何人かいて、少しホッとしたのを覚えている。

それからは、朝、家を出るのも苦痛を感じることなく、

授業が早く終わらないかな、と思いながら過ごしていた。

そして放課後になると一目散に校庭へと向かった。

ただ、練習の最初にグラウンドを十周するのだが、それが毎回走りきれずにいた。

僕が五、六周目を走っている時にみんなはミーティングをしていて、

僕はいつも途中で走るのを止めていた。

そして毎回怒鳴られる始末だ。

仕方ないけれど。

そんな中でも、たった一回だけれども、十周を走りきれた時があった。

それは僕にとって大きな出来事だった。

なぜ走りきろうと思ったのかは覚えてないけれど、

多分その時は走りたいと思ったのだと思う。

最後まで走りきりたいと。

それに、走れるとなんとなく思ったのだ。

それでも走っている間は苦しくて、何度も諦めようとしていたけれど、

友達が頑張れ、って言ってくれたから走りきれた。

走りきった瞬間にみんなが僕のところまで来て、

よかったな、すごいじゃん、なんて言ってくれた。

それがとても嬉しかった。

今でもその光景は焼きついている。

僕の学校のサッカー部は最初にミーティングがあって、

それが終われば上級生を中心に練習が始まる。

一年は球拾いがほとんどで上級生が休憩になると、

ようやく僕達一年が練習できる。

それでも三十分くらいはボールに触れるので、その時間は貴重だった。

そして、部活終わりの時間が近くなると、毎回PKの練習で終わる。

キーパーは、コーチとして来ている、先輩のお父さんだ。

僕は、毎回PKは止められて、もっと上手くなれ、

なんて言われることばかりだった。

そんな感じで部活の時間は過ぎていく。

そして、部活が終われば各々、水分補給なり座って休むなりして、

一息ついたら皆下校する。

僕はいつも家が近所の友達と二、三人で喋りながら帰っていた。

お互い家に帰ったら、すぐに公園に集まってまたサッカーの練習をしていた。

今思えば、この頃は体力があったんだな、と思う。

若かったんだと。

そんな風に学生生活を過ごしていた。

だけど少しずつ僕はまた前のように苦しくて辛くなってきた。

また家から出ようとすると泣いたり、吐き気がしてきたりするようになった。

とても苦しかった。

部活がいくら楽しくても、

いじめにあっている、この現状に耐えられなくなっていった。

そう。いじめはずっと続いていた。

変わることなくずっとあった。

中学でも、小学校の頃と同じことをされ続けていた。

それを教師達は見て見ぬ振りをしていた。

僕はどこに行っても変わらないことを、心の中で呪った。

同級生も、教師達も、みんな憎かった。

でも、変わろうとしなかった僕も悪かったのかもしれないけれど。

いじめは、日に日にエスカレートしていった。

勝手に僕の椅子と、同級生の椅子が入れ替わっていて、

それを見つけたその椅子の持ち主が、

「この椅子、もう座れない。腐ったわ」

などと言っているのを、僕はただただ下を向いて黙って聞いていた。

それ以外でも、授業中にも、

あからさまに嫌悪感をむき出しにされることが多々あった。

例えば、英語の授業。英語を隣の生徒と立って話すことがある。

その時も「はぁ、なんでこいつとやんなきゃいけないんですか?」などと言う。

教師も「仕方ないだろ」と言った発言をするのだ。

そんなことが当たり前だった。

そのようなことがあって、僕はまた、学校に行けなくなってしまった。

親に何があったか言えずにいて、家で普通に過ごしているのを見ている親に、

「こんなことしてるなら、学校に行けるだろ」と言われては、

マンションの廊下に出されて、僕はそこに何時間もいるのが当たり前だった。

それでも、学校に行けずにいる僕を、母は、怒鳴りながらも家に入れて、

仕事に行くというのを繰り返していた。

そんな中で、ある日、父が病院に入院することになった。

塩釜の市立病院に検査入院した。

そこで告げられた病名は、悪性リンパ腫という、血液のガンだ。

すでに手遅れの状態で余命宣告もされた。

医者は、「私達の病院では難しいため、大学病院に転院しましょう」とのことで、

父は大学病院で最期の日を迎えるまで入院することになった。

この話はとても長くなるので、省いてその後の話を今回は書いていきます。

結果として、父は亡くなった。

父は五十四歳だった。

僕が十四歳の中学二年の時の話だ。

父の通夜の後、兄、姉、いとこ達と、僕で会議のようなものが開かれた。

議題は僕の学校の話だ。

今、通っている学校にそのまま通学するか、転校するかどうするか、ということだ。僕の住んでいる家は、父の会社の社宅なので、父が亡くなった今、

引っ越さなくてはならないのだ。

なので、同じ市内に住んで、同じ学校に通うか、

転校するか、という話になったのだ。

僕は転校することを選んだ。

そして、引っ越しの前日のこと。

僕の家に、友達三人が遊びに来た。

教師から聞いたらしく、最後に遊ぼう、ということになって、

その中の一人の家に行って遊んだ。

僕らは、最後のお別れをした。

そして、僕達は隣の市に引っ越して、近くの中学校に移った。

だけど、僕は兄達との約束を守れなかった。

結局、学校には三回しか行けなかった。

そして僕は学校に三回しか行けぬまま卒業した。

本当によく卒業できたな、と今でも思うけれど、僕の学生生活はそれで終わった。

だから僕は、学生生活というものをそんなに長く経験していない。

義務教育でなかったら、卒業できていない。

それでも、今は生きて、生活しているのだから、

僕は自分に納得させようとしている。

これで良かったのだと。

過去は変えられないから。

僕の暮らしは、今を生きていくので、いっぱいいっぱいなのだから。

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