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ルポルタージュ

門脇篤インタビュー

​~アート活動は世界との繋がり~

「面白い」ことへの探求

 

 「個展をやりたい人いますか?」そう門脇さんが発した言葉に「アート・インクルージョン」の仲間が手を上げて、その中の一人の方に「白戸さんはやらないの?」と聞かれ「自分は個展をやるとかは…」と言葉を濁してその場をやり過ごした。それがいつの間にか、個展を開きたいと思うようになっていった。そこに至る気持ち変化などはあまり憶えていない。ただ個展を開く、その一心で門脇さんに提案していた。提案が通り打合せを重ねていった矢先に、新型コロナウイルスによりどうなるかわからなくなっていった。

 それでも僕は諦められずに、門脇さんと連絡を取り、話し合いを重ねていくに連れ、今回のオンライン個展を開催するという流れになった。僕は元々何かしらで使おうと思っていたホームページ作成サービスを利用して、その日の内にサイトを作っていった。その間もやり取りしていく中で相互インタビューをして、それをお互いの文章にして協働作品としてサイトに掲載する。

 

「面白い」ことが原動力になる。そして「ルール」の中で自由に

 

 門脇さんをインタビューする中で印象に残るほどに何度も出てきた言葉が「面白い」と「ルール」そして「自由」だった。インタビューを切り取りながら僕が捉えた思いを綴っていく。

 

門脇:「当時の価値観でいわゆる普通に就職をしました。

しかし会社で働くこと、そして誰かに縛られるのが合わなかったのです。ルール規則というものですね。

しかし、ルールがないということは無秩序になり誰も理解できない世界になることだと思っていて、スポーツにはルールがある、それと同じように会社にもルールがある。それが窮屈に感じましたね、私は。」「会社を辞めて世の中で生きていく時に、ビジネスの世界でやろうとしていること、私がやりたいこととは違うのだと考えました。今私がしていることは、ルールはあるが流動的に変えていくことです。

それを当時、世の中でそれが出来ることはアート活動だということに行き着きました。ルールというものは変えるのは大変だけど、見えないものが見えたら面白くて、ただ何かに繋がるのかはわからないけれども私がやりたいと思い始めました。」

 

アート活動をする上での源となっているもの、それが「面白い」ことだと門脇さんは話す。そして世の中と繋がる方法がアート活動だということも。

 僕が最初に門脇さんに抱いた印象が「自由にそして楽しく活動しよう」と自分にもみんなにも投げかけている、今まで出会ったことのない人として強く残っている。そしてそれは今も変わらず、いや、より自由への思いが強く門脇さんの印象として僕の中に刻まれている。

 今回のインタビューによってそれは図らずとも当たっていたのだと勝手に思った。このインタビューの中で見えてきたものは、門脇さんが抱く「面白い」ことに対するこだわり(この言葉は、本人にしたらそれこそ自由なことではなくなっているのでは?と捉えられそうですが敢えて使います)が強くあるのだと、そして自由に楽しくアート活動をしようという信念である。

「ルール」と「自由」この相対するものの狭間で、どうすれば縛られずに自分も楽しく、周りも楽しく「面白い」ことが出来るかを常に考えている。僕はそう感じたし捉えている。

 

 

一人でするアートではなく、みんなで作るアート。

白戸:門脇さんにとって、アートとは何ですか?

門脇:アート活動=世の中と繋がる方法です。もしアート活動が出来ていなければ私は社会と関わってはいないでしょうね。

その中で同じくAiの代表理事の白木福次郎さんと理事である村上タカシさんと出会いました。村上さんとの出会いは2003年のことでした。「観光とアート展」という村上さん立案のサンモール一番町で仙台七夕祭りの時、アートで何かをしようと、村上さんの大学ゼミ生を通して私などが声をかけられました。展示場所は自分で探すというある意味無茶な企画でしたが、それが私がアートで社会とつながるきっかけとなりました。

2010年に長町で年一回のアート・プロジェクトとして「アート・インクルージョン」が始まりました。その翌年、2011年に震災が起こり、事態は一変しました。まちの中でのアート活動はそれまでは周りからあまり評価されることはありませんでした。それが震災後は「コミュニティの再生」とか「絆」が叫ばれるようになり、私たちが行っているような活動への評価が一変し、素晴らしいと称賛され予算もつくなど、今まで出来なかったことが出来るようになっていきました。

そこでしっかりとした体制を作ろうと、2012年にアート・インクルージョンという法人を設立しました。

 

 アート活動が世の中と、そして社会と繋がるための手段だときっぱりと言ったのがとても印象深かった。そうしていく内に出会った繋がった人達と形になっていく「アート・インクルージョン」という【空間】

震災という自然災害から、風潮が変わったのを気に福祉の世界へと進み出した。【空間】が世間から必要とされた結果なのか、望まれたものか僕には計り知れないが、ただその【空間】に今僕もいる。

閉ざされているようにも思えるが、とても開け放たれた解放感すらある【空間】がこの先どんな新たな【空間】になっていくのか見ていきたい。

「アート」が結果ボランティアと捉えられる。

 

 そして、門脇さんは被災した地域でのアート活動を繰り返し行ってきた。その経緯を含め話を聞いた。

 

白戸:門脇さんが被災地でボランティア活動等をするようになった経緯は何ですか?

門脇:よく「ボランティア」と言われるのですが、私は震災前から何一つ変わらず、同じことをアート活動として行っています。

ボランティアの方が5年を目処にして去っていた中、私はアートだから面白いと思って続けているのが実際のところですね。決して人助けとして、やっているわけではないです。今取り組んでいることもそうです。

障害者と言われる人とアートをやっているのも、面白いからです。いろいろな逆境を乗り越えた人。それが面白いと思います。

白戸:その中でアチェに行くことになったのは何故ですか?

門脇:アチェに行くきっかけは、地球対話ラボから誘われたことが始まりでした。調査のために向かって活動していく中で面白くなっていきました。

日本人が思う普通が普通ではなく、なのに日本の常識が通じたりもする。

表現活動は人に伝えることです。でも意図したこととは違って伝わることが面白かったですね。日本では震災遺構には手を合わせるなど鎮魂の念を表します。ですが、アチェではそこは過去から未来を見る場所であり、それを体験する観光地になっているんです。そこでもアートをしました。日本では震災遺構でアート活動をするなど考えられないことですが、毛糸を使って雪を表現したりしました。

 

 やはり、と言っていいのか一貫して「面白い」というワードが出てくる。これこそ門脇さんの中にある信念なのだと僕は感じた。「面白い」からこそ探究心、想像力が次々に湧いてくるのだろう、源動力なのだと彼が放つ言葉にエネルギーを感じたのだ。

 生きているのだから楽しまないと!そう強く言われている錯覚に陥ってしまう。楽しく面白いことを今までもこれからも続けていくのだろう。

 

外とより繋がっていく。

 

白戸:それでは、門脇さんがこの先アートでしていきたいことを教えて下さい。

門脇:今まではやりたいことが次々に出来ていましたが、今は疲れやすくなっていて、やる気集中力がなくなっていると思います。100あるうちの10しか出来ない。楽しい、面白いことを選んでやっていきたいです。アート・インクルージョン・ファクトリーは先進的な取り組みを行う実験の場として数々の実績をあげてきました。たとえばそこに集う人々が自由に制作することが保証される、そうしたとても野心的で豊かな場になっています。これからは外との連携を取っていきたいです。

白戸:ありがとうございました。

 

実験の場、つまり今までは模索していたのだと、そう捉えた。それが今では見えないが形となりつつあることから、この先「アート・インクルージョン」という【空間】が、もっと外と繋がって連携していくように今はそこを模索していく。いや、門脇さんの頭の中にはもう絵図があるのかもしれない。

今回のオンライン個展にしてもそうだと思う。お互いにアイデアを出したと言いつつも、発案は門脇さんからだ。新たにホームページを開設してそこで個展をしよう、という発想は僕にはなかった。それでも打合せを重ねていくに、アイデアは尽きることなく際限なく出てくるのだ。門脇さんの引き出しと、僕の引き出しのそれぞれが連なって今、そしてこの先に繋がっていくと思うと楽しみで仕方ない。

門脇篤

1969年仙台市生まれ。東京外国語大学アラビア語学科卒。鉄鋼会社に就職後、

2年弱で退社し、写実的な平面作品を制作発表していたが、

2003年、仙台の商店街で行われたアートプロジェクト

「TANABATA.org」に参加したことがきっかけで、さまざまなメディアを使い、

「自分ではない誰かと何かを行う」コミュニティアートを

各地で展開するようになる。

東日本大震災後は、仮設住宅・復興住宅での

「おしるこカフェ」やアートを仕事にする福祉サービス事業所

「アート・インクルージョン・ファクトリー」、

スマトラ沖地震の被災地インドネシア・アチェと東北を結ぶ

「アチェ=ジャパン・コミュニティアート・プロジェクト」などの

企画・運営を行っている。

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