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才能とは​

小説や文章を書いていて自分の表現力、語彙力の無さに腹がたつことが多い。

最近特に思う。

圧倒的な何かが足りない。

そして思う。

才能が欲しい、と。

だが、才能って何?とも思う。

 いや、才能はある人にはあるのだと思うし、それを感じることもある

(なんだか上からな気がするが)

だけれども、だ。

だけれども、才能の有無ってどこで決まる?

いつかは解るものなのか?

いつまでも解らないままなのか?

そんな事を考えながら生活している。

 筆力は確実に存在すると僕は思っている。

圧倒的な何かを感じる人は多くて、それに触れるたびに羨ましくなる。

その才能の一端を死ぬほど欲しくなる。

ただそれがあったとして、面白いと感じるのは人それぞれだとも思う。

ただ、大小なりそれぞれだが、読んだ多勢の人が面白いと感じるものがあって、

それを僕は書きたい。

そして認知されたらどれほど嬉しいだろうか。

自分という存在が、本好きの人に知ってもらえて、この人の書くものは面白いよ、

なんて誰かに言う人がいる、それは生きる喜びになる。

 だから今はもっと沢山の物語を描いていって、筆力を上げていきたい。

自分の描いた世界を面白いと思ってもらえるような物語を紡いでいきたい。

 だからこそ、もっと沢山の本を読み、感性や知識、表現力を養いたい。

知人は文章を書くときに邦楽や小説は読まないと言っていた。

それは言葉を盗んでしまうという理由で。

確かに、と僕も思う。

本を読んでこのフレーズいいなであったり、

その作家さん独特の表現を読むと影響してしまうかもしれない。

それは模倣ではないかと不安にもなる。

でも、自分の解釈をして自分の言葉で書くことはできるとも思うし、そうありたい。

実際このエッセイを書いている今も音楽を聴きながら書いているが、

それは良い影響に変化している。

この歌詞をこう変化させたらどうか、などと考えながら書いている。

 文章ってものすごく難しくて、読む人にこれは良い、って思わせる話を、

世界を描いていくのは辛い作業だ。

僕にとっては。

でも辛いだけではない。

単純に楽しい。

それは何にも変えられないものだ。

だから僕が小説を書きたいと思ったことで世界はとても広がった気がしてならない。

何かに熱中できるものができたのはとても大きい。

そして今もこうしてキーボードを打っているのだが、

こうして書ける環境に今いるのも幸せな事だと思う。

言葉では言い尽くせないほど感謝したい

(これまた上からな気が)

夢をもってそれに邁進することが

今までなかった僕がこうして今を生きているのはすごい変化で、

辛い日の方が多いけれども、それでも幸せだと思える日を過ごしている。

それがただただ嬉しい。

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